頼朝公お手植えの松
(よりともこう おてうえのまつ)
奥州征伐の際に立ち寄り戦勝祈願し、報賽として2本の松を植えたと伝えられています。現在の松は2代目で、以前の松は1本は明治初年に、もう1本は昭和48年に枯れてしまいました。衝立として回廊内に保管されています。
本殿
(ほんでん)
建築様式は権現造り。昭和49年築のコンクリート造りの殿内には寛文4年(1664)に今川氏堯が改築した一間四方の朱塗の本殿があります。杉並区最古の木造建築物です。
富士塚
(ふじづか)
富士講に関する小山で実際に富士登山出来ない人たちの信仰欲を補うために作られました。
楼門
(ろうもん)
鉄筋コンクリート造りで昭和46年に作られ、随神が一対納められています。また左右両側は各町会の神輿庫になっています。
大灯籠
(だいとうろう)
昭和42年、別表神社に列せられたのを記念にして造られました。高さは約9メートルで、屋根は銅板葺きで八畳分の広さがあります。
社殿改築記念碑
(しゃでんかいちくきねんひ)
昭和3年10月建立。大正8年9月〜大正15年11月の期間に大規模な工事がなされました。これによって境内施設が整えられ、昭和3年3月、郷社(地域の中心神社)に昇格することが出来ました。
力石
(ちからいし)
氏子の方がお祭りの際などに力比べに使用した石。嘉永2年(1849)11個、大正7年(1918)4個、不明2個の計17個あり、一番重いもので60貫(225kg)の石が奉納されています。
神楽殿
(かぐらでん)
平成7年、源頼朝公祈請800年記念・皇太子殿下御結婚奉祝事業として従来の舞台だけのものから橋掛かりのあるものへと改築されました。里神楽や井草囃子、狂言または薪能などが行われます。
石灯籠
(いしどうろう)
文政元年(1818)に丸を講という富士講の方々が奉納されました。四方には各町名や奉納された方の名前が記されています。
東参道
(ひがしさんどう)
直線距離は約200mあり、5年に一度行われる流鏑馬神事では馬場となります。都内でも馬場を持つ神社は珍しいです。
大鳥居
(おおとりい)
昭和33年建立。高さ約9メートルで青梅街道に面しています。
区画整理碑
(くかくせいりひ)
高さ5メートル、幅約2メートル。井荻町(西荻窪駅北側〜青梅街道南側の範囲)の大規模な区画整理事業の完成を記念して昭和15年に建てられました。
招神殿
(しょうしんでん)
文化10年(1813)に造られた元拝殿。現在は祖霊舎として戦争で亡くなった方を中心にお祀りしています。
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